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【光を】鈴仙奮闘記22【掴み取れ!】
[983]森崎名無しさん:2014/11/13(木) 23:13:32 ID:??? ★パルスィ→ドリブル 48 ( ハート3 )( 4 + 2 )=★
[984]森崎名無しさん:2014/11/13(木) 23:13:41 ID:??? ★永琳→タックル 51 ( クラブJ )( 1 + 2 )=★
[985]鈴仙奮闘記 ◆85KeWZMVkQ :2014/11/13(木) 23:17:39 ID:TEi2LTUE なんとえーりん、またまたパルスィに敗北!? ……と、いったところでこのスレでの更新はここまでです。 新スレは今日の深夜か、無理なら明日の夜にでも建てておきたいと思います。 もしもスレタイ案に追加がありましたら、書き込みをして頂ければ幸いです。 【】鈴仙奮闘記23【】 の形で考えて頂ければ嬉しく思います。 恐らく深夜11時50分までの書き込みでしたら採用出来ると思います。 それでは、一旦失礼いたします。(ひょっとしたら、本日もお疲れ様でした)
[986]森崎名無しさん:2014/11/13(木) 23:28:57 ID:??? これはもう相性というか、天敵という感じがしますね 試合後に対ファンタジスタスキルを生やしてあげても良いのでは無いでしょうかw
[987]森崎名無しさん:2014/11/13(木) 23:40:30 ID:??? 名誉返上乙ー
[988]森崎名無しさん:2015/01/25(日) 02:02:54 ID:TRkX5y9c まだこのスレは空き容量がありますので、埋めネタを投下してもよいですか? 紫と霊夢(こちらについては勝手な推測)の中山・鈴仙2人に対するとらえ方と その感想を、とある本の文章からパク……リスペクトした文章をいれていいでしょうか?
[989]森崎名無しさん:2015/01/25(日) 02:07:42 ID:??? やってもいいというだろうけど地霊の能力値公開やってなかったからやるから 出来ればやめたほうがいいんじゃないかな
[990]鈴仙奮闘記 ◆85KeWZMVkQ :2015/01/25(日) 21:18:40 ID:??? >>989 すみません、一日出先で返信できませんでした。 埋めネタですが、是非やって頂いて構いません。 確かに>>989さんの仰るとおり、このスレでは地霊殿チームの能力値公開をやりたかったのですが、 長らく埋められて無かったですし、現行スレで公開をしても問題は無いので。 もし宜しければ、パク……リスペクトした本でも投下後に教えて下さればうれしいです。 文章ともども、今後の展開について、何か参考に出来るかもしれないので。
[991]988:2015/01/31(土) 22:34:10 ID:??? 埋めネタを投下したいと申した者です。 990さんや鈴仙奮闘記さんからのコメントを見て、 詰まらぬパクリ文で貴重な残り容量とTさんの登場機会を削ってしまう 事になる事に気づきました。悩みましたが、どうしても投稿せずにはいられなくなり 失礼ながら書き込ませていただきます。 紫と霊夢の考え方についてですが、前者は英雄史観、後者は種族史観というべきもの (後者については私の勝手な憶測です)とみております。 前者については鈴仙奮闘記さんの話の中で触れられているので省略し、後者については 「人と妖怪、神などは決定的に解消できない差異があり、その際により異変騒動は不可避である。 異変がおきれば一時的にお茶を濁して過ごすほかない」という考え方が霊夢にはあるのではないかと 愚考しております。
[992]988:2015/01/31(土) 22:41:24 ID:??? 社会の方向を決定する力として組織、集団の特質による影響が大きいという説には反対意見がある。 そのうち最も目立つのは英雄主義と種族主義である。 前者は、社会を決定する力が特定の個人、人物にあるという思想であり、後者は、種族間の関係にあるとする思想である。 英雄崇拝の時代はすでに過ぎた。社会の進行において個人は確かに一つの要素となる。 秦の始皇帝、アショカ王、カエサルの時代はいうまでもなく現代においても、やはり個人の影響はないとはいえない。 旧ソ連の骨格はなんといってもレーニン、スターリンの影響があり、 インドが今日のインドになるにはガンジーの人格が大きく関係している。 それゆえ第二次大戦後、戦争犯罪者を選んで処罰したのは当然のことである。 ともあれ個人の時代はおわった。 英雄主義のなかでもカーライル[イギリスの思想家、1795-1881]の語る英雄は 一時華やかだったナポレオン、ジンギスカン式の英雄ではないので、 今も聞くに値し、人の精神を呼び覚まし、真実で敬虔な態度で人生の戦線に立ち向かおうとする勇気を起こさしめる力がある。 けれども、それはやはり個人の面だけを強調した思想である。個人は自分独りで成り立つものではない。 考え、判断し、行動する主体が個人であることは言うまでもないが、その個人のうしろには常に全体が立っている。 良心は己れがつくったものではなく、生まれる前にすでに枠組みが決定されている。
[993]988:2015/01/31(土) 22:43:18 ID:??? 個人は全体の代表である。全体を離れた我は真の我ではあり得ないし、 みずからの内に命令する全体を発見した我こそ真の我である。それが真の自己発見である。 その全体は宗教的にいえば神であり、世俗的にいえば運命共同的な全体社会である。 今まで個人のうしろに立って支えてくれ、命令したのは個人が属する有機的集団である。 すべての個人は集団の表われである。ルターは宗教改革の中心人物であるが、 それはルターとしてではなくドイツ人ルターとしてである。 どんなにルターを尊敬する人でも、宗教改革をルター一人の行為と思う人はいないだろう。 宗教改革は宗教的にいえば聖霊の行ないであると同時に、現実的にいえば北ヨーロッパ民族の行為である。 ルターがイタリアに生まれなかったのは偶然ではなく必然である。 ルターはさておいて、全人類の救い主という声を聞くイエスさえ、ユダヤ民族の人である。 ユダヤでなければイエスは生まれてこない。ユダヤ民族を忘れてイエスを知ることはできないし、 ユダヤ民族を知らずしてキリスト教を知ることはできない。 集団的背景なくして人格はあり得ないということだ。 種族主義は英雄主義とは逆に、幻想郷の構成員を その社会生活における種族的対立・協調関係から説明しようとする思想である。 対立関係が社会変遷の理由にならないというのではない。ただそれだけが原因ではなく、主な原因でもない。 人生のあらゆる出来事を、利害関係の対立からくる力学関係論でもってすべて説明しようとするのは明らかに独断である。 そのような独断は、たった一人のソクラテスだけいても崩れてしまう。 ましてやソクラテス二千年前のギリシアだけにいたのではなく、一人ひとりの胸の中にいるからには…… 種族が対立すれば争うのは事実だが、もともと幻想郷に多種族が存在する原因は、 互いの利害の衝突からというよりは、外の世界では消滅するであろう異質的な分子を、 できるだけ生かして保護しようとするところから始まった。 争いではなく寛容である。
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0ch BBS 2007-01-24