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【赤と8ビットの】キャプテン岬【物語《ロマン》】
[305]森崎名無しさん:2018/04/29(日) 12:50:45 ID:nI852qrc A
[306]森崎名無しさん:2018/04/29(日) 14:44:37 ID:TULMcdrw A
[307]キャプテン岬 ◆ma4dP58NuI :2018/04/29(日) 15:42:08 ID:K3Jg4K+Q A ドリブル:21 少し上がりやすい ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 先着で ★83年8月4週2回目のドリブル練習(少し上がりやすい)→!card ★ と書き込み!とcardの間の隙間を埋めて下さい。数値で分岐します。 JOKER→+10! 9〜13→+5! 1〜8→効果がなかった
[308]森崎名無しさん:2018/04/29(日) 15:53:29 ID:??? これガッツじゃね? ★83年8月4週2回目のドリブル練習(少し上がりやすい)→ スペードA ★
[309]キャプテン岬 ◆ma4dP58NuI :2018/04/29(日) 15:59:28 ID:K3Jg4K+Q すみません、ガッツの所から転載して、訂正を忘れてました。 どうかこちらで引き直してください。 先着で ★83年8月4週2回目のドリブル練習(少し上がりやすい)→ !card ★ と書き込み!とcardの間の隙間を埋めて下さい。数値で分岐します。 JOKER→+1&必殺技のフラグ習得! 9〜13→+1! 1〜8→効果がなかった
[310]森崎名無しさん:2018/04/29(日) 16:31:24 ID:??? ★83年8月4週2回目のドリブル練習(少し上がりやすい)→ ハート7 ★
[311]キャプテン岬 ◆ma4dP58NuI :2018/04/29(日) 19:23:39 ID:K3Jg4K+Q ★83年8月4週2回目のドリブル練習(少し上がりやすい)→ハート7 ★ →効果がなかった ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 僕がアタリを訪れてから数日後、すっかりお馴染みの練習場になった シュッセ運動場へとやってきて、体力づくりとドリブルの練習を行った タッタッタッ…… ザッザッザッ…… だが、どうもサッカーの練習というより、ただの脚の上下運動にしかなってないような 気がする。 岬「(だめだ、どうも気がのらないな。今日は早めに切り上げて帰ろう)」 見切りをつけて練習を家に帰る。家に帰ってみると、部屋の境のふちに 僕と父さんの「衣装」が吊るされていた。 チフォネリの細いストライプの紺の背広。宝石のようなきめ細かな輝きを放つ ジリのネクタイ。履いただけで紳士に見えるであろうオーベルジーの革靴。 日本にいた頃から父さんがその地方その業界の名士と会う際の、話を和ませるための一種の小道具として、 また将来の人脈づくりの布石として、たびたび荘重な礼服を着用して出かけている。 岬「もう新しいのが届いたんだ。今度は誰に会うの?」 岬父「まずは日本での『党本部』との顔つなぎをしないといけない。 相手はジャコブ・マルシェ(Jacob Marchais)。 パリ特別市党第一書記であり」 ここで父さんは一旦言葉を切り、そしてしてやったりといった顔になって、告げた。 岬父「フランス共産党書記長、ジョルジュ・マルシェ(Georges Marchais)の弟だ」
[312]キャプテン岬 ◆ma4dP58NuI :2018/04/29(日) 19:24:58 ID:K3Jg4K+Q フランス共産党の大物と会う、という事が分かったところで、本編の投稿を終わりとします。 ただ、もしかしたら幕間劇は投稿できるかもしれません。
[313]キャプテン岬 ◆ma4dP58NuI :2018/04/29(日) 20:36:36 ID:K3Jg4K+Q それでは、幕間劇がはじまります。ここに出てくる人達は本編とは一切関係ありません。 この投稿をもって、この3連休及び次の4連休中の投稿は終わりです。 それにしても元ネタマイナー過ぎるかな…… 1983年、どこかの平行世界の東京都大田区池上某所の某社前にて 真美「真美ちゃんと→」 小鳥「お姉さんの」 真美・小鳥「ゲームなぜなに講座ー!」
[314]キャプテン岬 ◆ma4dP58NuI :2018/04/29(日) 20:38:00 ID:K3Jg4K+Q 真美「ピヨちゃんピヨちゃん!」 小鳥「なあに、真美ちゃん」 真美「どうしてパックマンとかギャラクシアンとかポールポジションとか、アタリにはナムコのゲームが多いの?」 小鳥「それはね、真美ちゃん。1974年、まだナムコが中村製作所って呼ばれてた頃からはじまるわ。 アタリの日本支社であるアタリジャパンを買収してから、ナムコとアタリの関係がはじまったのよ。 そしてそれが、ナムコの飛躍に大きく貢献する事になるわ」 真美「へえ→どうして?」 小鳥「アタリジャパンを買収した後、ナムコはアメリカから運ばれてくる アーケードゲーム筐体内のコンピューターボードの修理や、 ちゃんと直ったかどうかのテストプレイ、どんなゲームかを説明するための説明書作成をしていたの。 説明書には元々は無かったキャッチフレーズやコメントまでつけてね。 当時最先端のゲームに触れていったから、ナムコの開発部の技術力もモチベーションも、 そしてナムコ全体の勢いも上がっていったわ。 後にパックマンを生み出した岩谷徹さんはこう言いました。 『当時勢いがあったアタリ社製ゲームの販売ができるというのは、実質上、日本国内のビデオゲーム市場を手中に収めること (中略)ゲーム性・アイディア、デザインなどすべての面でカルチャーショックを受けたのです』」
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0ch BBS 2007-01-24