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【全国の】キャプテンEDIT40【壁】
[853]キャプテンEDIT ◆EUWFb5QXUg
:2012/10/07(日) 01:48:15 ID:???
……98年。
クラブと代表。ことあるごとにアジアと欧州を往復する生活は、サッカー選手にとって大きな負担である。
それが影響してか、大前はよりにもよって大会前の親善試合で膝を故障。転んだ際に筋肉系の故障も併発してしまう。
大前は日本のW杯連覇という偉業達成の瞬間を、病室の上からテレビを通して見届けることとなった。
キャプテン森崎有三がトロフィーを掲げ、10番・大空翼が『東洋のペレ』と人々に称えられる様を、涙を飲んで見送った。
鳴紋中時代のチームメイトが、自分の不在からか喜び切れずにいる姿が映るや、耐えきれずにテレビの電源を切ってしまったと言う。
またこの怪我は、プロデビュー以来の古巣である、デポルティボ・ラ・コルーニャでの去就にも影響した。
治療が長期に渡ること、後遺症が避けられないことが懸念され、クラブでもフロントから復帰後の働きを疑問視されてしまったのだ。
大前はかつてチャンピオンズカップ出場にも貢献した功労者だった。
だが、チームは後に『スーペル・デポル』とも言われる黄金期、それを築き上げる選手が育ち、または新加入していた。
長期間の所属によりサラリーが嵩み、故障までしてしまった三十路間近の男に注がれる視線は、冷ややかなものだった。
結局彼は、自ら志願しての移籍という形でチームを去ることとなる。
日韓共催、母国を舞台に三連覇達成が掛かった02年大会でも、黄金世代の高年齢化が懸念される代表には、三十の大台を越え、
しかも慢性的な怪我を抱えた彼の居場所は無かった。
国内のマスコミは四年前の英雄と次世代の若武者の報道に終始する。
大会の結末は、91年のワールドユース大会以来、日本への雪辱を狙っていたブラジルの優勝。
三連覇、ならず。その衝撃もあってか、国民のほとんどは、しばらく前に古巣からも逐われた、八年も昔の男の事は忘れ去っていた。
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0ch BBS 2007-01-24