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1- レス

【光を】鈴仙奮闘記22【掴み取れ!】


[993]988:2015/01/31(土) 22:43:18 ID:???
 個人は全体の代表である。全体を離れた我は真の我ではあり得ないし、
みずからの内に命令する全体を発見した我こそ真の我である。それが真の自己発見である。
その全体は宗教的にいえば神であり、世俗的にいえば運命共同的な全体社会である。
今まで個人のうしろに立って支えてくれ、命令したのは個人が属する有機的集団である。
すべての個人は集団の表われである。ルターは宗教改革の中心人物であるが、
それはルターとしてではなくドイツ人ルターとしてである。
どんなにルターを尊敬する人でも、宗教改革をルター一人の行為と思う人はいないだろう。
宗教改革は宗教的にいえば聖霊の行ないであると同時に、現実的にいえば北ヨーロッパ民族の行為である。
ルターがイタリアに生まれなかったのは偶然ではなく必然である。
ルターはさておいて、全人類の救い主という声を聞くイエスさえ、ユダヤ民族の人である。
ユダヤでなければイエスは生まれてこない。ユダヤ民族を忘れてイエスを知ることはできないし、
ユダヤ民族を知らずしてキリスト教を知ることはできない。
集団的背景なくして人格はあり得ないということだ。


種族主義は英雄主義とは逆に、幻想郷の構成員を
その社会生活における種族的対立・協調関係から説明しようとする思想である。
対立関係が社会変遷の理由にならないというのではない。ただそれだけが原因ではなく、主な原因でもない。
人生のあらゆる出来事を、利害関係の対立からくる力学関係論でもってすべて説明しようとするのは明らかに独断である。
そのような独断は、たった一人のソクラテスだけいても崩れてしまう。
ましてやソクラテス二千年前のギリシアだけにいたのではなく、一人ひとりの胸の中にいるからには……
種族が対立すれば争うのは事実だが、もともと幻想郷に多種族が存在する原因は、
互いの利害の衝突からというよりは、外の世界では消滅するであろう異質的な分子を、
できるだけ生かして保護しようとするところから始まった。
争いではなく寛容である。




0ch BBS 2007-01-24