※人気投票開催中※
01/17(日)00:00-01/30(土)23:59
第二回鈴仙奮闘記キャラ人気投票
※新板できました※
ダイス創作物語板
ブログ 現行スレ 投票 最新20

1- レス

【光を】鈴仙奮闘記22【掴み取れ!】


[988]森崎名無しさん:2015/01/25(日) 02:02:54 ID:TRkX5y9c
まだこのスレは空き容量がありますので、埋めネタを投下してもよいですか?
紫と霊夢(こちらについては勝手な推測)の中山・鈴仙2人に対するとらえ方と
その感想を、とある本の文章からパク……リスペクトした文章をいれていいでしょうか?


[989]森崎名無しさん:2015/01/25(日) 02:07:42 ID:???
やってもいいというだろうけど地霊の能力値公開やってなかったからやるから
出来ればやめたほうがいいんじゃないかな

[990]鈴仙奮闘記 ◆85KeWZMVkQ :2015/01/25(日) 21:18:40 ID:???
>>989
すみません、一日出先で返信できませんでした。
埋めネタですが、是非やって頂いて構いません。
確かに>>989さんの仰るとおり、このスレでは地霊殿チームの能力値公開をやりたかったのですが、
長らく埋められて無かったですし、現行スレで公開をしても問題は無いので。
もし宜しければ、パク……リスペクトした本でも投下後に教えて下さればうれしいです。
文章ともども、今後の展開について、何か参考に出来るかもしれないので。

[991]988:2015/01/31(土) 22:34:10 ID:???
埋めネタを投下したいと申した者です。
990さんや鈴仙奮闘記さんからのコメントを見て、
詰まらぬパクリ文で貴重な残り容量とTさんの登場機会を削ってしまう
事になる事に気づきました。悩みましたが、どうしても投稿せずにはいられなくなり
失礼ながら書き込ませていただきます。

紫と霊夢の考え方についてですが、前者は英雄史観、後者は種族史観というべきもの
(後者については私の勝手な憶測です)とみております。 省14

[992]988:2015/01/31(土) 22:41:24 ID:???
社会の方向を決定する力として組織、集団の特質による影響が大きいという説には反対意見がある。
そのうち最も目立つのは英雄主義と種族主義である。
前者は、社会を決定する力が特定の個人、人物にあるという思想であり、後者は、種族間の関係にあるとする思想である。

英雄崇拝の時代はすでに過ぎた。社会の進行において個人は確かに一つの要素となる。
秦の始皇帝、アショカ王、カエサルの時代はいうまでもなく現代においても、やはり個人の影響はないとはいえない。 省39

[993]988:2015/01/31(土) 22:43:18 ID:???
 個人は全体の代表である。全体を離れた我は真の我ではあり得ないし、
みずからの内に命令する全体を発見した我こそ真の我である。それが真の自己発見である。
その全体は宗教的にいえば神であり、世俗的にいえば運命共同的な全体社会である。
今まで個人のうしろに立って支えてくれ、命令したのは個人が属する有機的集団である。
すべての個人は集団の表われである。ルターは宗教改革の中心人物であるが、
それはルターとしてではなくドイツ人ルターとしてである。 省65

[994]988:2015/01/31(土) 22:45:00 ID:???

また種族には永続する自我意識がない。種族と集団は同じ程度というものではない。
種族間の際は単純な体質・行動パターンから生まれてくるものであるゆえ、その関係がたち切られるとその感情もすぐなくなるが、
集団意識は個人の性格形成にまで影響をおよぼすものであるため、容易になくなりはしない。
英雄主義や種族主義は一面の真理は語っている。しかし分析的な真理がほんとうの真理ではない。
富士山の峰ごと、谷間ごとを分析してみれば、他の山と変わらない石と木であろうが、 省39

[995]988:2015/01/31(土) 22:46:32 ID:???
このようにのべると、非常に激しい集団主義のように思えるが、そうではない。集団主義時代は過ぎ去った。
しかし家族主義の時代が過ぎ去っても家の意味は依然として残り、
個人主義を捨てても個人の価値は依然として貴いように、
集団主義を捨てても集団の価値は知らなくてはならない。
歴史を担うのは個人でも、種族でもない、集団である。少なくとも今まではそうである。

幻想郷は森羅万象から成り立つ社会である。
否定する余地のない彼ら自身の、そして幻想郷の社会である。 省37

[996]988:2015/01/31(土) 22:58:10 ID:???
以上で拙文の書き込みを終了いたします。
元ネタとなった本は咸錫憲『苦難の韓国民衆史 意味から見た韓国歴史』の
63-67ページより参照いたしました。

中山・鈴仙2人が起こした変化は、突き詰めれば幻想郷の構成者の総意であり、意志ではないか、
世の中を変えていくのは「凡人」しかできない事ではないのかと考え、書き込ませていただきました。

咸さんの著書は激動の時代を生き抜き戦い抜いてきた人が書いている本であるだけに、 省6

[997]森崎名無しさん:2015/01/31(土) 23:23:30 ID:???

その調子で今度は新たな外伝を作り上げてくれ
楽しみに待ってるぞ!

[998]鈴仙奮闘記 ◆85KeWZMVkQ :2015/02/01(日) 00:09:55 ID:???
988さん、読み応えのある&大変勉強になる埋めネタの投下乙&ありがとうございました!
勘違いさせてしまったのなら申し訳ありませんが、少なくとも私は、是非読ませて頂きたいと思っていました!


・霊夢や中山など一人の「英雄」の意志が、幻想郷の行く末を決めるという英雄史観、英雄崇拝というのは既に時代遅れ。
 何故なら英雄個人の思想・人格とは、英雄を生んだ「集団」の背景によって成り立っているから。
省45


0ch BBS 2007-01-24